2010年6月15日火曜日

鉄の時代

少年の見開かれた目を思うたび、
わたしの表情は醜悪になっていく。
それを治す薬草は、
この岸辺の、いったい
どこに生えているのだろう。


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オリジナル・タイトル:Age of Iron by J.M.Coetzee

付記:この『鉄の時代』は1980年代後半のケープタウンを舞台にした小説です。南アフリカのアパルトヘイト体制末期の激動の時代。20代にいったんは去った南アフリカへもどり、以来、その地に住みつづけて数々の傑作を発表してきたJ.M.クッツェーが、当時の社会状況と拮抗するような、緊迫感にみちた筆致でしたためた作品です。

 人が人と心を通わせることは可能だろうか? 人を信頼することは可能だろうか? 人は自分とは異なる存在を受け入れることができるものなのか? 人はあたえられた運命をどのように生きたらいいのか? ガンの再発を告げられた70歳の白人女性、元ラテン語の教師、エリザベス・カレンを容赦なく襲う出来事。彼女の脳裏をさまざまな問いがよぎります。

 これは、ぎりぎりのところに立たされた人間が、最後まで諦めずに、過酷な抑圧制度のなかで切り離された存在(他者)への信頼──いや、信頼への可能性──を必死でつなぎとめようとする物語、として読むことができます。もちろん、ほかにもいろんな読み方ができるでしょう。
 
 クッツェーの作品では、読者は容易に主人公に自分を重ねることができません。いつでも読後に、ざらりとした感触が残ります。あえてそのように書く作家だともいえます。ハッピーエンドや心地よさに読者を誘うことを嫌います。しかし作品には恐るべき力技が秘められていて、「小説」という形式をもちいることでのみ読者に届くものが存在することに、読後、読み手は深く思いいたることになります。作品が読者のもっとも深いところへ無意識に揺さぶりをかけるからです。

 アパルトヘイト下の南アフリカという剥き出しの暴力世界との緊張関係のなかで、検閲制度をかいくぐり、数々の偽装を凝らしながら、南アという地域性をはるかに超える作品を書いてきた作家、それが J・M・クッツェーです。『鉄の時代』の主人公、エリザベス・カレンのさまざまな自問への答えは、ひょっとするとそのまま、彼女が呼びかける「あなた」にかかっているのかもしれません。

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付記:2008年10月12日の日経新聞に掲載された武田将明氏の書評がこのサイトで読めます。

2009年2月24日火曜日

パレスチナから報告します──占領地の住民となって

 2008年12月、イスラエルがガザに向かって空爆を始め、一週間後に予定通り、地上侵攻に切り替えて、狭くて人口の密集した地区を徹底的に破壊した。テロとの戦争との名目で、子供たちの手足を吹き飛ばし、負傷者を運ぶ救急車を狙撃し、治療にあたる医療者まで銃撃して殺した。
 その間、イスラエル人ジャーナリストのアミラ・ハスは、ガザ住民との連絡を絶やさず、実名入りで被害のようすを「ハアレツ紙」に書き続け、いまも書き続けている。

 その一部を「エスペランサの部屋」で訳出したのは、ほかでもない、この『パレスチナから報告します』(筑摩書房刊)を2005年5月に私が訳出したからだった。訳しながら、「そうだったのか!」と何度も思った。それまで、あまたの解説書では知り得なかった、まさに現場の事実を突きつけられたような思いがした。曇っていた視界がすっと開けた。
 イスラエル人に向けて書かれた新聞記事は、遠いアジアの国の読者にとって、そのままでは咀嚼しきれない要素もあったけれど、現場から発せられる声は圧倒的な重さをもって響いてくる。ジャーナリズムとはこういうものか、という目から鱗の瞬間も何度もあった。

 ところが2008年秋、この本は版元のカタログから落ちることになった。イスラエル/パレスチナを知るための基本図書ともいえる本だったのだが、本当に残念だ。まさかその年の暮れからガザ攻撃が始まるとは、思ってもみなかった。そしていまでは、古書でかろうじて入手できる状態。
 現代における「カッサンドラ」といわれるジャーナリストの、現場からの切実な声が伝わってくる、唯一の邦訳書だったのだけれど・・・。

 なんらかのかたちで復刻され、読者の手にいつでも入るかたちになることを、切に願っています!

2008年12月5日金曜日

アフター・ザ・ダンス 

<ハイチ、カーニヴァルへの旅>

子どものころは「絶対だめ!」と、牧師の叔父さんから参加を禁じられていたカーニヴァル。そのカーニヴァルに参加するため、ハイチ出身のエドウィージ・ダンティカがジャクメルへ旅する帰郷ノートです。

 ハイチがどんな国か、この『アフター・ザ・ダンス』を読むとよくわかります。国の成り立ち、歴史、文化、宗教をおさらいしながら、そこに住む人々の素顔までのぞけるガイドブック。といっても具体的な旅の情報ではありません。
 年に一度のカーニヴァルがハイチの人々にとってどれほど重要なものか、ハイチから離れて北米で暮らすエドウィージや家族にとって、故国に暮らす人々とのつながりがどれほど大切か、そういったことが滲み出ている本です。
 「Yes, Obama!」のステッカーを早くから車に貼っていたというダンティカさん。よかったね!!!

オリジナルタイトル:After the Dance by Edwidge Danticat

 エドウィージ・ダンティカ『アフター・ザ・ダンス』(現代企画室より、2003年刊)

2008年12月1日月曜日

マンゴー通り、ときどきさよなら

ちょっと裏話をしましょうか。

 この本のオリジナル・タイトルは「The House on Mango Street」、日本語にすると「マンゴー通りの家」となりますが、当時、版元の編集部の人たちが、それでは「動き」がなさすぎる。もっと、なにか読む人の心を引きつけることばはないものか…と随分と時間をかけて、頭をひねって、つけてくれたタイトルが、この「ときどきさよなら」の部分です。

 これは本文中に出てくることばで、主人公が育ったマンゴー通りとそこに住む人たちとの関係が、とてもよくあらわれていると思います。タイトルとしてはやや長めですが、含みのある、印象深いものになりました。

マンゴー通り、ときどきさよなら』と『サンアントニオの青い月』の表紙はいずれも、さわだとしきさんが描いてくださったものです。どちらもとっても素敵な絵です。

2008年11月30日日曜日

サンアントニオの青い月

ずいぶん前に訳した本ですが、いまでもとても愛着があります。著者のサンドラ・シスネロスはこの本の装幀がとりわけ気に入って、亡くなる直前のお父様に見せることができてよかった! と手紙をくれたのを思い出します。
 
サンアントニオの青い月』は『マンゴー通り、ときどきさよなら』の姉妹篇。といっても、『マンゴー通り』がシスネロス・ワールドへのきらきらしい入口であるとしたら、これはぐんとディープでホットな物語世界です。合州国とラテン・アメリカ、とりわけメキシコとの国境を行き来する人たちを活写する筆致には、目をみはるものがあります。
 いずれも1996年、晶文社刊。

オリジナル・タイトルは、Woman Hollering Creek

アメリカにいる、きみ

ナイジェリア出身の若い作家、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ/Chimamanda Ngozi Adichie が、雑誌などに発表した短篇のなかから訳者が選び、日本語に訳したものです。世界初の短編集で、収められた作品はつぎの10篇。

  アメリカにいる、きみ
  アメリカ大使館
  見知らぬ人の深い悲しみ
  スカーフ──ひそかな経験
  半分のぼった黄色い太陽
  ゴースト
  新しい夫
  イミテーション
  ここでは女の人がバスを運転する
  ママ・ンクウの神さま

(『アメリカにいる、きみ』河出書房新社より、2007年9月刊)
 *日本独自版ですのでオリジナル版(原書)はありません。

2008年8月22日金曜日

マイケル・K

人はどこまで自由でいられるか。

マイケル・K』は、クッツェー氏の一連の作品の底に流れるこのテーマが、より鮮やかに描かれた作品と言える。
「あなたが描くのは、歴史の中の個人の運命ですね」。97年、私がそうたずねると、クッツェー氏は迷うことなく、こう応じた。「そうです。私が描くのは、あくまでも個人の運命です」

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上のことばは2006年8月、拙訳『マイケル・K』が<ちくま文庫>に入ったときに、藤原章生さんが書いてくれたものです。藤原さんは南アフリカ滞在中にこの本の著者、J.M.クッツェー氏にインタビューした唯一の日本人ジャーナリストです。

オリジナル・タイトル:Life and Times of Michael K by J. M. Coetzee